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【門下生紹介】敬称略

●森本 正一 

 

昭和12年に京都武道館で開催された全国高等専門学校柔道選手権大会に同志社高等専門学校(現同志社大学)の大将で出場し、全国制覇する。

【昭和61年(1986年)11月23日同志社大学90周年記念記載記事より引用】

 

なお、この試合については増田俊也氏の著書「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の中で詳細が書かれており、不世出の柔道家木村政彦を擁する拓殖大学が決勝戦で同志社高等専門学校に敗れるくだりで森本氏の名前が登場する。 

森本正一氏の書「柔能制剛」

「柔よく剛を制す」とは、古代中国の老子の思想を基調に書かれたと言われる『三略』の中の有名な一節で、「柔軟性のあるものが、そのしなやかさによって、かえって剛強なものを押さえつけることができる」という意味です。

柔道においても、相手の力を巧みに利用し、小さい人でも大きい人を投げることができるという意味で使われる言葉です。

関西高校柔道場の名札掛けには、師範として名が残っている

●福間 昌郎 (ふくま まさお)

 

初代館長福間豊の五男。小学校入学と同時に柔道を始める。

 

関西高校柔道部時代は、入学時には大勢いた部員も厳しい稽古で減っていく中で耐え抜き、3年生でレギュラーを勝ち取り岡山県代表で全国大会へ出場する。

 

【朝飛道場へ入門】

 高校卒業後に上京し、横浜の朝飛道場へ入門する。(現在、全国少年柔道大会4連覇するなど全国屈指の名門道場となっている)

初代館長の朝飛速夫氏より指導を受け実力を伸ばし、国体の神奈川県予選会では学生チャンピオンを破り神奈川県代表として国体へ出場を果たす。

 また、五大都市体育大会(横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市による対抗戦)では、横浜市代表として出場し優勝した。

 

 朝飛道場では、柔道家としての修行だけでなく、アメリカ人牧師の門下生との出会いで、渡米を意識し始めるきっかけとなった。

 また、朝飛先生と親交の深かった俳優三船敏郎氏の弟芳郎氏(明治大学柔道部出身/七段)とは、朝飛道場で稽古をしたことがあり、渡米する際は後押された。

 その他にも渡米後の下宿先を朝飛道場の門下生から紹介してもらうなど、朝飛道場で築いた人脈が、人生の転機となった、

 

【渡米後】

 24歳の時に渡米する。渡米後、全米選手権大会の中量級に出場し、準優勝する。

 指導者としては、ロサンゼルス近郊のノーオク道場の師範として、長年にわたり地元の柔道の普及振興に努めている。

 

 (ノーオク道場ホームページ:Norwalk Judo – The most popular Judo Dojo in Southern California)

 帰郷の際は、光武館で柔道の技術指導だけでなく自身の経験談からチャレンジすることの大切さなどを門下生に伝えている。

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筑波大学、岡山県警などで活躍し、現在は、アメリカ・フロリダ州にある柔道場「SASAKI JUDO」で夫の佐々木伸次朗氏と共に指導者としてご活躍の佐々木(旧姓:高原)理恵子さんとの写真。

写真は、2017年にロサンゼルスで開催された合宿で撮影。

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講道館指南役 佐村嘉一郎十段の書

福間昌郎が渡米の際に朝飛道場二代目館長の朝飛和子先生より譲り受けた大変貴重な書です。

川田 伸一郎 (かわた しんいちろう/昭和55年入門 )

 

岡山市瀬戸町出身。

国立科学博物館 研究主幹。 

研究テーマは「モグラ科食虫類の系統分類学」で、「モグラ博士」の呼び名もある。

モグラや哺乳類に関する著書の出版、論文を発表し、テレビ番組にも出演している。

 

 詳細(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%94%B0%E4%BC%B8%E4%B8%80%E

 

小学校2年生の時に光武館へ入門し、中学、高校では柔道部に所属。

光武館80周年記念誌発行の際は、「柔道で心身共に鍛えられたおかげで、大型動物の解体の重労働や厳しい環境下でのモグラ等の捕獲など、過酷な作業も耐えることができている」との回想文をお寄せいただいた。

詳しい内容については、川田氏が執筆している雑誌「ソトコト」の人気連載のコラム本「標本バカ」にも掲載されている。(139ページ)

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