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歴代館長紹介

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館祖 福間 

 

 

(ふくま ひろた/明治14年/1881年3月14日生)

邑久郡邑久町福元(現瀬戸内市邑久町福元868番地)にて農業を営む傍ら、明治年間に不遷流柔術の元祖 物外大和尚の4世 田辺又右衛門(倉敷市玉島出身)に教えを請い、明治42年(1909年)頃、生家に道場を開設し、「光武館」と命名した。

 

当時この様な道場は少なく、多くの門弟が修行に励んだ。門弟の出身地は、邑久郡、和気郡、上道郡、赤磐郡(現瀬戸内市、備前市、和気軍、岡山市東部、赤磐市)に及んだ。

 

また、廣太氏は、当時柔道専門家としては極めて少なく、開設当時、遠くは天城中(現倉敷天城高等学校)まで出向き柔道指導をした。

昭和49年(1974年)3月22日、93才にて没す。

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初代館長 福間 豊

 

 

(ふくま ゆたか/明治34年・1901年4月29日生)

福間廣太の長男として生まれ、大正6年に柔道を始めた。

 

大正15年(1926年)、金光弥一兵衛九段(かなみつやいちべえ)へ入門すると共に、父廣太氏の指導補佐をし、家業を助けると共に、閑谷中学校(現和気閑谷高校)、瀬戸農芸学校(現瀬戸南高等学校)の柔道教師や、瀬戸警察署(現赤磐警察署)、和気警察署(現備前警察署)へ出向き、署員の柔道指導も務めた。

昭和6年(1931年)11月1日、現「光武館」を設立。

昭和10年(1935年)5月9日、大日本武徳会より「教士」の称号を授与され、昭和15年4月29日、柔道の功績により、勲七等青色桐葉褒章を受章した。

戦後、学校柔道廃止にともない、閑谷中学校、瀬戸農芸学校両校の柔道教師を辞し、光武館で門下生の指導に務め、昭和21年6月10日柔道整復術試験に合格し、本業とした。

その後、柔道の復活にともない、金剛中学校(現和気中学校)や、瀬戸中学校の部活動で柔道を指導を行った。また、岡山県柔道連盟委員の他、多くの公職も務めた。

​柔道以外にも西大寺会陽で宝木を取ったことでも当時知られていた。

昭和42年(1967年)2月2日、65才にて没す。

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二代目館長 福間 武男

 

 

(ふくま たけお/大正14年・1925年10月6日生)

福間豊の長男として生まれ、昭和7年に柔道を始めた。

昭和42年2月2日、初代館長豊の死去により、二代目館長となる。

本業が医師ため、道場運営は多難を極めたが、当時、四段以上の門弟で、宇野雅庸六段(現七段)、福間篤七段(豊氏二男)、安本巌五段の他、故人の房延綾男七段、仲村勝吉五段、横谷政司四段、谷井源平五段、原二男四段、赤堀昭治五段、延原継男五段の相互協力により道場の継続が計られた。

昭和46年(1971年)倉敷第一病院院長歴任後、倉敷市中島269-1に福間整形外科医院を開設。多忙であったが、週に一度は道場で門弟指導や一門衆(指導者)との親睦に努めた。

昭和59年(1984年)4月8日、皇居内済寧館に於いて、全日本医師柔道大会50歳後半の部に出場して優勝している。

また、この頃よりスポーツ医学の研究にも努め、医学の立場から柔道に役立つトレーニング方法を研究し、指導方法など研究論文を発表するなどした。

昭和54年(1979年)4月には、日本スポーツドクター公認岡山県スポーツトレーナー委員会会長に就任して県内のスポーツ振興にも貢献している。それらの功績が認められ、平成元年(1989年)10月、スポーツ医学功労にて文部大臣表彰を受賞している。

平成22年(2010年)2月1日、85才にて没す。

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三代目館長 福間 潔

 

​(ふくま きよし/昭和23年・1948年1月15日生)

 

初代館長福間豊の六男として生まれ、小学4年生から本格的に柔道を始めた。

 

関西高校柔道部時代はキャプテンを務め、全国高校総合体育大会に出場。

関西高校柔道部の恩師片桐三郎先生の母校である拓殖大学へ進学し、木村政彦師範に師事。

同級生には、

正木照夫氏(全日本柔道学生選手権、全日本学生レスリング選手権優勝)、

西村昌樹氏(ミュンヘン五輪重量級銅メダリスト)、

後輩には、

一戸隆男氏(柔道新聞/拓大柔道部OB会長/全国ビルメンテナンス協会会長)

高濱久和氏(愛知県柔道連盟副会長)

など当時の学生トップクラスの選手とともに猛稽古に励み、全国学生柔道選手権大会(中量級)でベスト16に入っている。

 

昭和54年(1979年)3月、光武館を守るため東京より帰郷し、門弟の指導にあたった。

福間整形外科医院に努める傍ら、関西高校や岡山県立一宮高校、瀬戸中学校、上道中学校で非常勤講師として柔道部を指導した。また、岡山柔道連盟理事、同備前支部常任理事、赤磐柔道連盟副会長として、県内の柔道の普及振興に寄与した。

 

平成2年(1990年)1月、武男館長の意により次期館長に指名され、館長印授式の後、光武館館長に就任した。

 

柔道以外にも瀬戸町の体育指導員や体育協会理事(柔道部部長)として地域のスポーツ振興に貢献した。

平成30年(2018年)11月15日、70才にて没す。

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